第十一章
「有の以て利と為すは、無の以て用と為せばなり」
形ある「有」が役に立つのは、形のない「無」がその働きを支えているからである。
現代に活かすための「原理原則」
老子は、私たちが通常価値を見出す「目に見えるもの」(有)ではなく、「目に見えない空間」(無)こそが、物事の本質的な機能を生み出すと説いています。車輪も器も部屋も、その物質的な部分ではなく、空洞や空間こそが本来の機能を果たすことを通じて、「無」の創造的な力を明らかにしています。
現代のビジネスや人生において、私たちは常に「もっと」を求めがちです。もっと多くの機能、もっと多くの会議、もっと多くの成果。しかし老子は、真の価値は「引き算」から生まれることを教えています。余白、沈黙、待つ時間、これらの「無」こそが、創造性とイノベーションの源泉なのです。
車輪の中心原理
三十本のスポークが集まる車輪の中心には何もない。しかし、その空洞があるからこそ車軸が通り、車輪が回転する。組織においても、リーダーが全てを支配するのではなく、メンバーが動ける「空間」を作ることが重要です。
器の内側原理
器の価値は、粘土という物質ではなく、その内側の空間にある。同様に、組織の価値は建物や設備ではなく、そこで生まれる創造的な活動の「場」にあります。会議室より、自由な発想が生まれる余白が大切なのです。
部屋の空間原理
壁や天井が部屋を形作るが、実際に使うのは内部の空間。ビジネスにおいても、ルールや制度(有)は枠組みに過ぎず、その中でメンバーが自由に動ける空間(無)こそが生産性を生み出します。
有と無の相互作用
「有」は目に見える成果やリソース、「無」は余白や可能性の空間。両者は対立するのではなく、相互に支え合う関係。スケジュールを詰め込むのではなく、戦略的に「何もしない時間」を作ることで、真の創造性が生まれます。
つまり、「無」とは単なる空虚ではなく、無限の可能性を秘めた創造の源泉。現代のマネージャーは、部下を管理することよりも、彼らが自由に動ける「空間」を設計することこそが、最も重要な仕事なのです。
この章の核となる思想を掘り下げる
有の以て利と為すは、無の以て用と為せばなり
古典の文脈
この格言は老子第十一章の結論として述べられ、車輪・器・部屋という3つの身近な例を通じて「無」の本質的価値を説いた後の集大成です。「有」(形あるもの)が利益をもたらすように見えるが、実際にはそれを機能させているのは「無」(空間や余白)であるという、逆説的でありながら普遍的な真理を表しています。老子の思想の核心である「無為自然」の基盤となる考え方です。
現代的意義
現代社会において、この教えは「Less is More」の本質を示しています。企業が機能の追加に躍起になる中、AppleがiPhoneから物理ボタンを削除して成功したように、「引き算のデザイン」こそが真の価値を生みます。また、リモートワーク時代において、オフィスという「有」よりも、自由な働き方という「無」(柔軟性)が生産性を高めることも、この原理の現代的な実証です。
実践的価値
明日からあなたができること:カレンダーに「空白の時間」を意図的に作ってください。会議と会議の間に15分、週に2時間の「何も予定しない時間」を確保する。その空白こそが、アイデアが生まれ、問題解決の糸口が見つかる創造の時間となります。また、部下との1on1では、あなたが話す時間を3割に抑え、7割を「聴く空間」にする。その沈黙と余白が、部下の本音と成長を引き出します。
この教えの戦略的応用
老子の「無の作用」を現代のチーム運営に応用すると、「詰め込み」ではなく「余白の設計」による生産性向上戦略となります。成功企業が実践する「引き算の経営」を学びましょう。
スケジュール設計
(車の用)勤務時間の20%を自由プロジェクトに充てることで、GmailやGoogle Mapsなどの革新的サービスが誕生
実践のコツ
メンバーに「何もしない自由」を与える勇気はあるか?
会議の余白
(器の用)会議冒頭の15分間は資料を黙読する時間。この「無言の空間」が深い議論を生み出す
実践のコツ
発言で埋め尽くすのではなく、考える余白を作れているか?
オフィス空間
(室の用)意図的に配置した巨大な空き空間で、部門を超えた偶発的な出会いとアイデア交換を促進
実践のコツ
効率的な配置より、創造的な「無駄」を設計できているか?
意思決定の間
(無の以て用と為す)正式決定前の非公式な対話の「間」が、全員が納得する意思決定を可能にする
実践のコツ
即断即決より、熟成の時間を設ける知恵はあるか?
実践チェックリスト
歴史上の人物による実践例
「有の以て利と為すは、無の以て用と為せばなり」という老子の教えは、日本の経営史において、最も劇的な形で実践されました。あえて「やらないこと」を決め、「引き算」によって世界的企業を築いた男の物語です。
本田宗一郎 - ホンダの「三ない主義」と創造的余白
本田宗一郎の天才性は、老子の「無の作用」を企業経営に完璧に応用したことにあります。
「三ない主義」として、株式公開しない(当初)、財閥と組まない、官僚と癒着しないという「やらないこと」を明確にし、その代わりに生まれた自由な空間で技術革新に集中。
また、「ワイガヤ」と呼ばれる上下関係のない自由討論の場を設け、役職や年齢という「有」を一時的に「無」にすることで、若手からベテランまで全員のアイデアが飛び交う創造的空間を生み出しました。
さらに、研究所を本社から独立させ、経営の圧力という「有」から解放された「無」の空間で、CVCCエンジンなど革新的技術を次々と開発。「余白があるから創造が生まれる」という老子の教えを、見事に実証したのです。
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