論語

公冶長こうやちょう

「人を見抜くとは、言葉と行動を分けて観ること」。孔子が弟子や同時代人を評価する中で、人の真価を見抜く基準を示す。マネージャーとして部下の才能と課題をどう見極めるか、そのための実践的洞察を学びます。
最重要格言
初め吾、人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを信じたり。今吾、人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを観る。

かつて私は人の言葉を聞いてその行動を信じていたが、今では言葉を聞くだけでなく、その行動を観察するようにしている。この言葉は、人を評価する上での表面的な言動に惑わされない実践的な教訓を示しています。

一 子、公冶長こうやちょうを謂わく、「めあわす可きなり。縲絏るいせつの中に在りといえども、其の罪に非ざるなり」と。其の子を以て之にめあわす。

二 子、南容なんようを謂わく、「邦に道有れば廃せられず、邦に道無ければ刑戮けいりくを免る」と。其の兄の子を以て之にめあわす。

三 子、子賤しせんを謂わく、「君子なるかな若のごとき人。魯に君子無くんば、斯れいずくんぞ之を取らん。」

子貢しこう問うていわわく、「や何如。」子いわわく、「女は器なり。」いわわく、「何の器ぞや。」いわわく、 瑚璉これんなり。」

五 或ひといわわく、「雍や仁にしてねいならず。」子いわわく、 いずくんぞねいを用いん。 御するに口給こうきゅうを以てすれば、屡々人に憎まる。其の仁を知らず。いずくんぞねいを用いん。」

六 子、漆彫開しっちょうかいを仕えしめんとする。対えていわわく、「吾れ斯を之れ未だ信ずること能わず。」 よろこぶ。

七 子いわわく、 「道行なわれず、いかだに乗りにて海に浮かばん。 我に従わん者は、其れゆうなるか。」子路しろ、之を聞きて喜ぶ。子いわわく、「ゆうや勇を好むこと我に過ぎたり。取る所無きなり。」

孟武伯もうぶはく問う、「子路しろは仁なりや。」子いわわく、「知らざるなり。」又問う。子いわわく、「ゆうや、千乗の国、其の賦を治めしむ可きなり。其の仁を知らざるなり。」「求や何如。」子いわわく、「求や、千室の邑、百乗の家、之が宰たらしむ可きなり。其の仁を知らざるなり。」「せきや何如。」子いわわく、「せきや、束帯そくたいして朝に立ち、賓客と言わしむ可きなり。其の仁を知らざるなり。」

九 子、子貢しこうに謂いていわわく、「女と回と孰れかまされる。」対えていわわく、「や、何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る。や一を聞きて以て二を知る。」子いわわく、 「如かざるなり。吾と女と如かざるなり。」

宰予さいよ昼寝ちゅうしんす。子いわわく、 朽木きゅうぼくは彫る可からず、糞土ふんどかきる可からず。 予に於いてか何ぞ諌めん。」又たいわわく、「始吾れ人に於けるや、其の言を聞きて其の行いを信ず。今吾れ人に於けるや、其の言を聞きて其の行いを観る。予に於いてかを改む。」

十一 子いわわく、「吾未だごうなる者を見ず。」或ひと対えていわわく、「申棖しんとう。」子いわわく、 「棖やよくあり。いずくんぞごうなるを得ん。」

十二 子貢しこういわわく、「我、人の之を我に加うるを欲せざることは、吾も亦之を人に加うること欲せざるなり。」子いわわく、 や、女が及ぶ所に非ざるなり。」

十三 子貢しこういわわく、「夫子ふうし文章もんじょうは得て聞く可きなり。 夫子ふうしの性と天道と言えるは、得て聞く可からざるなり。

十四 子路しろ、聞くこと有りて、未だ之を行なうこと能わざれば、唯だ聞く有らんことを恐る。

十五 子貢しこう問うていわわく、「孔文子こうぶんし、何を以て之を文と謂うや。」子いわわく、 「敏にして学を好み、下問かもんを恥じず。 を以て之を文と謂うなり。」

十六 子、子産しさんを謂わく、「君子の道四つ有り。其の身を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義なり。」

十七 子いわわく、「晏平仲あんぺいちゅう、善く人と交わる。 久しくして之を敬す。

十八 子いわわく、「蔵文仲ぞうぶんちゅうさいを居く。山節さんせつ藻棁そうせつにす。 何如ぞ其れ知ならん。

十九 子張しちょう問うていわわく、「令尹れいいん子文しぶん、三たび仕えて令尹れいいんと為るも、喜色無し。三たび之を辞するも、慍色おんしょく無し。旧の令尹れいいんの政、必ず以て新しき令尹れいいんに告ぐ。何如。」子いわわく、「忠なり。」いわわく、「仁なりや。」いわわく、「未だ知らず、いずくんぞ仁なるを得ん。」「崔子さいし、斉の君をしいす。陳文子ちんぶんし、十乗の馬あり、之を棄てて之を去る。他邦に至りて則ちいわわく、猶吾が大夫崔子さいしのごときなりと。之を去る。一邦に至りて則ち又たいわわく、猶吾が大夫崔子さいしのごときなりと。之を去る。何如。」子いわわく、「清なり。」いわわく、「仁なりや。」いわわく、「未だ知らず、いずくんぞ仁なるを得ん。」

二十 季文子きぶんし、三たび思いて後に行なう。子之を聞きていわわく、 「二たびすれば、斯れ可なり。」

二十一 子いわわく、「寧武子ねいぶし、邦に道有れば則ち知。邦に道無ければ則ち愚。 其の知は及ぶ可きなり。其の愚は及ぶ可からざるなり。

二十二 子、陳に在りていわわく、 「帰らんか、帰らんか。吾が党の狂簡きょうかん斐然ひぜんとして章を成す。之を裁する所以を知らざるなり。」

二十三 子いわわく、「伯夷はくい叔斉しゅくせいは、旧悪を念わず。 怨みに用て希なり。

二十四 子いわわく、「孰か微生高びせいこうを直なりと謂うや。或ひとを乞う。其の隣に乞いて之を与う。」

二十五 子いわわく、「巧言令色、足恭すうきょうなるは、左丘明さきゅうめい之を恥ず。 丘も亦之を恥ず。 怨みを匿して其の人を友とするは、左丘明さきゅうめい之を恥ず。 丘も亦之を恥ず。

二十六 顔淵がんえん季路きろ、侍す。子いわわく、「なんぞ各女の志を言わざる。」子路しろいわわく、「願わくは車馬衣軽裘けいきゅう、朋友と共にし、之をやぶりてうらみ無からん。」顔淵がんえんいわわく、「願わくは 善をほこること無く、労を施すこと無からん。子路しろいわわく、「願わくは夫子ふうしの志を聞かん。」子いわわく、 「老者には之を安んじ、朋友には之を信じ、少者には之を懐けん。」

二十七 子いわわく、「已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て、 内に自らむる者を見ざるなり。

二十八 子いわわく、「十室の邑、必ず 忠信 丘のごとき者あらん。 丘の学を好むに如かざるなり。

一 先生が公冶長こうやちょうについて評された。「(私の娘を)嫁がせてもよい人物だ。牢屋に入れられたことがあったが、それは彼の罪ではなかったのだから。」そうして自分の娘を彼に嫁がせた。

二 先生が南容なんようについて評された。「国に道がある(政治が正しい)ときは登用されるし、国に道がないときでも刑罰を受けるような事態を免れる(賢明さがある)。」そうして兄の娘を彼に嫁がせた。

三 先生が子賤しせんについて評された。「君子だね、このような人物は。もし魯の国に君子がいなかったら、彼はどこでこれほどの徳を身につけたのだろうか。」

子貢しこうが「私はどうでしょうか」と尋ねた。先生は「お前は器(役に立つ人物)だ」と言われた。子貢しこうが「何の器ですか」と重ねて聞くと、「 瑚璉これん(祭祀に用いる貴重な玉器)だ 」とおっしゃった。

五 ある人が「仲弓(雍)は仁徳があるが、口下手(口先がうまくない)ですね」と言った。先生はおっしゃった。 「どうして口のうまさなど必要だろうか。 口先だけで相手をあしらう者は、しばしば人に憎まれるものだ。彼に仁があるかは別として、口のうまさなど必要ないのだ。」

六 先生が漆彫開しっちょうかいを仕官させようとした。彼は「私はまだ(政治を任されるだけの)自信がありません」と答えた。 先生はその控えめな態度を喜ばれた。

七 先生がおっしゃった。 「道が行われないなら、いかだに乗って海にでも浮かんでしまおうか。 私に従ってくるのは、ゆう子路しろ)だろうなあ。」子路しろはこれを聞いて喜んだ。先生は「ゆうの勇気は私をしのぐほどだが、いかだの材料を調達すること(現実的な判断)までは考えていないようだな」となだめられた。

孟武伯もうぶはくが「子路しろは仁者ですか」と問うた。先生は「わからない」と言われた。重ねて問われると、「ゆうは千乗の国の軍事担当になれるだろう。だが仁者かどうかはわからない」と言われた。「冉求はどうですか」と問うと、「求は大きな町の知事や家老の執事になれるだろう。だが仁者かはわからない」。「公西せきはどうですか」と問うと、「せきは礼服を着て外交を任せられるだろう。だが仁者かはわからない」とおっしゃった。

九 先生が子貢しこうに言われた。「お前と回(顔回がんかい)では、どちらが優れているか。」子貢しこうは答えた。「私などがどうして回を望みましょうか。回は一を聞いて十を悟ります。私は一を聞いて二を悟るのが精一杯です。」先生は言われた。 「(お前の言う通り)及ばないね。私もお前も、彼には及ばないのだ。」

十 弟子の宰予さいよ昼寝ちゅうしんをしていた。先生はおっしゃった。 「腐った木には彫刻ができないし、ボロボロの土壁には上塗りができない(やる気のない者は教えようがない)。 予(宰予さいよ)を叱っても仕方がないな。」さらに言われた。「以前の私は、人の言葉を聞いてその行動も正しいと信じていた。今の私は、人の言葉を聞いた上で、その行動をじっと観察するようにしている。予のことでこの態度を改めたのだ。」

十一 先生がおっしゃった。「私はまだ、本当の意味で『ごう(信念を貫く強さ)』を持つ者を見たことがない。」ある人が「申棖しんとうがそうです」と答えると、先生は 「棖には欲望がある。どうしてごうであると言えようか」 と言われた。

十二 子貢しこうが言った。「私は、他人が自分に強いてほしくないことは、自分も他人に強いないようにしたいと思っています。」先生は言われた。 子貢しこう)よ、それはお前の及ぶところではない(非常に難しいことなのだ)。」

十三 子貢しこうが言った。「先生の教えられる文化や制度については、拝聴することができる。しかし、 先生が語られる人間の本性や天の道(宇宙の根本原理)については、滅多に聞くことができない。

十四 子路しろは、何か良い教えを聞いて、それをまだ実践できていないうちに、また新しいことを聞くのを(実践が追いつかなくなるのを)恐れた。

十五 子貢しこうが「孔文子こうぶんしはどうして『文(すぐれた文化人)』という贈り名をもらったのですか」と尋ねた。先生は 「頭が良くて学問を好み、目下の人に質問することを恥としなかったからだ。 だから『文』と呼ばれたのだよ」と答えられた。

十六 先生が子産しさん(鄭の名宰相)について評された。「彼には君子の道が四つあった。自分の振る舞いは謙虚、目上に仕えるには敬意、民を養うには慈しみ、民を動かすには正義を重んじた。」

十七 先生がおっしゃった。「晏平仲あんぺいちゅうは、人との付き合い方が実に見事だった。 付き合いが長くなっても、相手に対して敬意を失わなかった。

十八 先生がおっしゃった。「蔵文仲ぞうぶんちゅうは、大亀を飼うために、柱に山の彫刻を施し、梁の短柱に水草の模様を描かせた(分不相応な装飾をした)。 どうして彼が『知者』だなどと言えようか。

十九 子張しちょうが尋ねた。「楚の令尹れいいんだった子文しぶんは、三度も長官になりましたが喜ぶ様子も見せず、三度辞めさせられても不満の顔を見せませんでした。前の長官としての事務を必ず次の長官に引き継ぎました。どう思われますか。」先生は「忠実だね」と言われた。子張しちょうが「仁者ですか」と聞くと、「まだわからない。どうして仁者と言えようか」。「斉の崔子さいしが君主を殺したとき、陳文子ちんぶんしは十組の馬を持っていたのにそれを捨てて亡命しました。他国へ行っても『ここも崔子さいしのような奴ばかりだ』と言ってまた去りました。どう思われますか。」先生は「潔白だね」と言われた。「仁者ですか」と聞くと、「まだわからない。どうして仁者と言えようか」と答えられた。

二十 季文子きぶんしは、三度考えてから行動した。先生はこれを聞いて「二度考えれば十分だ」 とおっしゃった(慎重すぎて好機を逃すことを戒めた)。

二十一 先生がおっしゃった。「寧武子ねいぶしは、国が正しいときは知恵者として活躍し、国が乱れると愚か者のように振る舞って身を守った。 その知恵は真似できても、その徹底した愚かさ(を演じること)には到底及ばない。

二十二 先生が(亡命先の)陳の国で言われた。 「帰ろう、故郷へ帰ろう。私の故郷の若者たちは、意気盛んで見事な文彩を放っているが、それをどう裁断して形にすべきかを知らないのだ(私が導かねばならない)。」

二十三 先生がおっしゃった。「伯夷はくい叔斉しゅくせいは、他人の昔の過ちをいつまでも気にしなかった。 だから人から恨まれることも少なかったのだ。

二十四 先生がおっしゃった。「誰が微生高びせいこうを正直者だなどと言うのか。ある人が酢を乞いに来たとき、彼は自分の家にないのに、隣の家からもらってきて与えた(ありのままを言わずに良い顔をした)。」

二十五 先生がおっしゃった。「巧みな言葉、媚びるような表情、度が過ぎるほど恭しい態度は、左丘明さきゅうめい(昔の賢人)が恥としたことだ。 私もまた、それを恥とする。 心の中で恨みを隠しながら、その人と友人でいることも、左丘明さきゅうめいが恥としたことだ。私もまた、それを恥とする。」

二十六 顔淵がんえん子路しろがそばに控えていた。先生が「どうだ、それぞれの志を言ってみなさい」と言われた。子路しろは「馬車や衣服を友人と共有し、それが古びても気にしないような関係を築きたいです」と言った。顔淵がんえん「自分の善行を自慢せず、他人に負担をかけないようにしたいです」 と言った。子路しろが「先生の志も伺いたいです」と言うと、先生は 「お年寄りを安心させ、友人に信頼され、若者に慕われるようになりたいものだ」 とおっしゃった。

二十七 先生がおっしゃった。「もうおしまいだ。私はまだ、自分の過ちに気づいて、 心の中で自分を厳しく責める(反省する)者を見たことがない。

二十八 先生がおっしゃった。「十軒ほどの小さな村にも、必ず 真心と誠実さ(忠信) において私と同じくらいの者はいるだろう。 だが、私ほどの学問好きはいないだろう。

公冶長篇が扱う主題

公冶長篇人の真価を見抜く「知人」の技術について書かれています。

本篇は、孔子が弟子や歴史上の人物を評価する「人物評」が中心です。人の才能、限界、そして成長可能性をいかに見抜くか。単なる批評ではなく、人の多面性を理解し、育成するための実践的な洞察に満ちています。

公冶長篇の特徴的な教え

公冶長こうやちょう篇の教えは、ケーススタディの連続です。孔子が具体的な人物を例に挙げることで、「人を見る目」を養うための基準を多角的に示してくれます。それは、現代のマネージャーが部下一人ひとりの個性を理解し、才能を最大限に引き出すためのヒントそのものです。

聞言観行

言葉を聞き、行動を観察すること。人を評価する際に、言葉だけでなく実際の行動を重視すべきだという孔子の教訓。特にマネジメントにおいて重要な姿勢です。

その人の持つ才能や能力の大きさと種類を指す比喩。孔子は弟子を「瑚璉これん(これん)」という特定の祭器に喩え、一人ひとりの才能がユニークで、適した役割があることを示しました。

なぜ現代でも重要なのか

リモートワークが普及し、部下の働きぶりが見えにくくなった現代において、「言」と「行」を見極める力は、これまで以上にマネージャーに求められています。言葉巧みな部下や、逆に不器用でも実直に成果を出す部下を正しく評価することは、チームの成果と信頼関係に直結します。

日々の1-on-1や面談で、具体的な「行動(行)」の事実に基づいたフィードバックを行うことで、部下の納得感を高め、成長を促すことができます。また、プロジェクトのアサインにおいて、メンバーの「器」を見極め、最適な役割を与えることで、チームのパフォーマンスを最大化できます。

この教えの戦略的応用

ケーススタディ:年上で経験豊富な部下とのコミュニケーション。会議では立派なことを言うものの、実際の成果物が伴わず、プロジェクト遅延の原因になっている。どう指摘すればいいか悩んでいる。

高橋さん、その悩みは多くの新任マネージャーが経験する壁です。『経験』という鎧をまとった相手に、どう切り込むべきか。公冶長篇の教えは、まさにこの状況を打開する、段階的なアクションプランを示唆してくれます。

レベル1:事実の分離と記録

(其の言を聴きて其の行いを観る)
OKR(Objectives and Key Results)による目標管理

Googleなどで採用されるOKRは、目標(Objective)という「言」と、主要な結果(Key Results)という測定可能な「行」をセットで管理します。これにより、「やった感」ではなく、具体的な成果に基づいた評価が可能になります。

実践のコツ

部下の「やります」という言葉だけでなく、その結果どうなったかという「行動の記録」を客観的に取っていますか?

レベル2:内省を促す対話

(吾未だ能く其の過を見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。)
GROWモデルを用いたコーチング面談

対話の目的は詰問ではなく、相手の気づきです。「事実(Reality)」を提示した上で、「どうありたいか(Goal)」「どんな選択肢があるか(Options)」を問いかけ、本人の「意志(Will)」を引き出します。孔子が嘆いたように、自ら省みることは難しいもの。だからこそ、問いかけで導くのです。

実践のコツ

あなたは、部下を一方的に評価するのではなく、彼自身が課題に気づき、次の行動を自ら宣言するような対話の場を作れていますか?

レベル3:限界の見極めと判断

(朽木は彫る可からず、糞土の牆は杇る可からず。)
PIP(業績改善計画)の実施と、その先の判断

対話を重ねても内省や行動改善が見られない場合、残念ながら『彫れない木』である可能性も考慮せねばなりません。具体的な改善計画(PIP)を提示し、期間を区切って最終的な見極めを行います。これは非情な判断ではなく、チーム全体と本人の双方にとって、貴重な時間を無駄にしないための現実的なマネジメントです。

実践のコツ

コーチングの限界を感じたとき、あなたは感情論に陥らず、組織としての客観的なプロセスに移行する準備ができていますか?

実践チェックリスト

この章の核となる思想を掘り下げる

初め吾、人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを信じたり。今吾、人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを観る。

古典の文脈

これは、孔子自身が過去の失敗から学んだ教訓です。かつて孔子は、弁舌爽やかな弟子・宰我(さいが)の言葉を信じていましたが、彼が昼寝ばかりして怠惰な姿を見て失望しました。この経験から、言葉だけでは人の本質は分からない、行動こそがその人を表すのだと悟ったのです。

現代的意義

現代のビジネスでは、プレゼンや自己PRなど「言葉」の重要性が増しています。しかし、その言葉が本物かどうかは、地道な「行動」の積み重ねが裏付けます。多くの部下をまとめる立場にあるなら、この言葉と行動を見極める眼は、チームを成功に導くための必須スキルと言えるでしょう。

実践的価値

明日から、チームメンバーとの会話の中で、具体的なアクションアイテムを必ず確認するようにしてみてください。「検討します」で終わらせず、「では、いつまでに、何を、どうしますか?」と。「言」を具体的な「行」に落とし込む習慣をつけることが、第一歩です。

歴史上の人物による実践例

人の本質を行動で見抜く。このリーダーの基本的なスキルを、天下統一の目前で忘れ、すべてを失ったのが織田信長です。有能さという「言」と「行」の裏に隠された、部下の心の機微を見抜けなかった悲劇でした。

織田信長と明智光秀 - 本能寺の変

信長は、能力主義(行動の評価)によって多くの家臣を登用しましたが、その苛烈な手法は部下に多大なストレスを与えていました。特に光秀に対しては、その有能さを認めながらも、人前で屈辱を与えるなど、彼のプライドを深く傷つけます。信長は光秀の「有能な働き」という表面的な行動は見ていましたが、その裏で蓄積される不満や絶望という「内面の行動」を観ることを怠りました。結果、信長は最も信頼していたはずの部下に討たれることになります。これは、人の「行い」を単なる成果だけでなく、その裏にある動機や感情まで含めて観察することの重要性を示す、痛烈な教訓です。