墨子

兼愛けんあい上篇

真のリーダーシップは、特定のお気に入りを優遇する「偏愛」ではなく、全てのメンバーを等しく大切に思う「兼愛」から生まれる。分け隔てない公平な姿勢こそが、メンバー間の信頼を育み、心理的安全性の高い、協力的なチーム文化を築くための礎となる。
最重要格言
人の身を視ること、其の身のごとくし、人の家を視ること、其の家のごとくし、人の国を視ること、其の国のごとくす。

他人の体を自分の体のように、他人の家を自分の家のように、他人の国を自分の国のように大切に思う。これが兼愛の心である。

聖人、天下の治を事と為す者は、必ず其の乱のりて起る所を察せざる可からず。乱のりて起る所を察すれば、不相愛より起る。

臣の君と相愛せざるは、乱なり。子の其の父と相愛せざるは、乱なり。弟の其の兄と相愛せざるは、乱なり。天下の相賊あいぞくする所以のものを察すれば、亦不相愛より起る。

今の諸侯は唯だ其の国を愛するを知りて、他国を愛せず。の故に、国を利するに務めて以て他国を攻む。今の家の長は唯だ其の家を愛するを知りて、他家を愛せず。の故に、家を利するに務めて以て他家を乱る。今の人は唯だ其の身を愛するを知りて、他人を愛せず。の故に、其の身を利するに務めて以て他人を賊す。

を以て、諸侯相愛せざれば則ち必ず野に戦う。家の長相愛せざれば則ち必ず相篡あいさんう。人相愛せざれば則ち必ず相賊あいぞくす。君臣相愛せざれば則ち忠恵ちゅうけいならず。父子相愛せざれば則ち慈孝じこうならず。兄弟相愛せざれば則ち和調わちょうせず。天下の人皆な相愛せざれば、強きは必ず弱きをとらえ、富めるは必ず貧しきを侮り、貴きは必ず賤しきにおごり、詐は必ず愚をあざむく。

凡そ天下の禍篡怨恨かさんえんこんりて生ずる所は、皆な不相愛より生ず。の故に、仁者は之を非とす。

然らば則ち之をけんねて相愛し、交相利こうそうりするは、果して以て之を易う可きか。

子墨子いわく、天下の士君子、まことに天下の富を欲し、其の貧をにくむならば、天下の治を欲し、其の乱をにくむならば、当にけんねて相愛し、交相利こうそうりすべし。これれ聖王の事、天下の治の要、利す可からざるに非ざるなり。

しばら嘗試しょうしに之を言わん。けんねて相愛し、交相利こうそうりするは、果たして言う可く行う可きか。

子墨子いわく、ごとし行う可からずんば、我も亦之を非とせん。あにに唯だ之を非とするのみならんや、必ず之を禁ぜん。然るに実に行う可からざるに非ざるなり。

しばら嘗試しょうしに之を言わん。ごとし人にこれに二人の士有りとせば、一人は別にり、一人はけんねにる。

所謂る別の士はいわく、「我れいずくんぞ我が朋友ほうゆうの身を視ること、我が身のごとくするを得ん。我が朋友ほうゆうの親を視ること、我が親のごとくするを得ん。」の故に、朋友ほうゆう飢うれば則ち之が為に食らわしめず。寒ければ則ち之が為に衣せしめず。病めば則ち之が為に養わず。死すれば則ち之が為に葬らず。別の士の言はごとく、其の行も亦ごとし。

けんねの士の言はごとくならず、其の行も亦ごとくならず。いわく、「吾は聞く、天下の名士たる者は、必ず其の朋友ほうゆうの身を視ること、其の身のごとくし、其の朋友ほうゆうの親を視ること、其の親のごとくすと。然る後に天下の名士たるに中る可し」と。の故に、朋友ほうゆう飢うれば則ち之が為に食らわしめ、寒ければ則ち之が為に衣せしめ、病めば則ち之が為に養い、死すれば則ち之が為に葬る。けんねの士の言はごとく、其の行も亦ごとし。

しばら嘗試しょうしに之を言わん。今、君子これに有りとせば、必ず将に遠く行きて、其の家室かしつ・親戚を託す可し。然らば則ち之をけんねの士に託さんか、将た別の士に託さんか。我は思う、の時に当りては、天下に愚夫・愚婦無しといえども、必ず之をけんねの士に託せんといわわん。

言う所はに反し、行う所はに与す。れ其の口と其の身と相い戾る者なり。これの故を知らず。

の故に、子墨子いわく、しばら嘗試しょうしに之を言わん。天下の相愛する所以のものを察すれば、けんねより起る。天下の相にくむ所以のものを察すれば、別より起る。子墨子の言う所の、別は非、けんなる者は、これを以てなり。

聖人、つまり天下を治めることを自らの仕事とする者は、まず混乱がどこから生じるのかをよく考察しなければならない。その混乱の原因を調べてみると、人々が互いに愛し合わないことから生じているのがわかる。

家臣と君主が互いに愛し合わないこと、子が父を愛さないこと、弟が兄を愛さないこと、これらが混乱の原因である。天下で互いに傷つけ合う原因を調べても、やはり人々が互いに愛し合わないことから生じている。

今の諸侯は、自分の国だけを愛することを知っていて、他国を愛そうとしない。だから、自国の利益のために他国を攻撃するのだ。今の家長たちは、自分の家だけを愛することを知っていて、他家を愛そうとしない。だから、自分の家の利益のために他家を混乱させるのだ。今の世の人々は、自分自身だけを愛することを知っていて、他人を愛そうとしない。だから、自分の利益のために他人を傷つけるのだ。

こういうわけで、諸侯が互いに愛し合わなければ、必ず戦場で争うことになる。家長たちが互いに愛し合わなければ、必ず互いに乗っ取り合う。人々が互いに愛し合わなければ、必ず互いに傷つけ合う。君主と家臣が互いに愛し合わなければ、君主は恵み深くなく、家臣は忠実でなくなる。父と子が互いに愛し合わなければ、父は慈愛深くなく、子は孝行をしない。兄弟が互いに愛し合わなければ、仲睦まじくはなれない。天下のすべての人が互いに愛し合わなければ、強い者は必ず弱い者を抑えつけ、富める者は必ず貧しい者を侮り、身分の高い者は必ず低い者に対しておごり、ずる賢い者は必ず愚かな者を騙すだろう。

およそ天下の災い、簒奪、怨恨が生じる原因は、すべて互いに愛し合わないことから生まれる。だからこそ、仁者(道徳をわきまえた人)は、このようなあり方を間違いだと判断するのである。

では、「兼愛けんあい」、つまり「すべての人を分け隔てなく愛し、互いに利益を与え合う」ことによって、この状況を変えることができるのだろうか。

墨子先生は言われる。「天下の士君子たちよ、もし本気で天下を豊かにしたいと願い、貧しさをなくしたいと思うなら、また、天下を穏やかに治めたいと願い、混乱をなくしたいと思うなら、すべての人々を分け隔てなく愛し、互いに利益を与え合うべきである。これこそが古代の聖王が行ったことであり、天下を治めるための要諦なのだ。決して不可能なことではない。」

試しにこのことについて論じてみよう。すべての人を分け隔てなく愛し、互いに利益を与え合うということは、果たして口で言うことができ、実行できることなのだろうか。

墨子先生は言われる。「もし実行できないことなら、私自身もそれを間違いだと言うだろう。ただ間違いだと言うだけでなく、きっと禁じるに違いない。しかし、実際には実行不可能なことではないのだ。」

試しにこのことについて論じてみよう。もしここに二人の人物がいたとして、一人は「別」(人を差別する)の立場をとり、もう一人は「けん」(人を平等に愛する)の立場をとるとする。

いわゆる「別」の立場の者は言うだろう。「どうして私が友人の体を自分の体のように大切にできようか。どうして私が友人の親を自分の親のように大切にできようか」と。だから、友人が飢えていても食事を与えず、寒くても衣服を与えず、病気でも看病せず、死んでも葬ってやらない。この人物の言うことはこのようであり、その行動もまたこのようである。

けん」の立場の者の言うことはそうではなく、その行動もまたそうではない。彼は言うだろう。「私はこう聞いている。天下の名士たる者は、必ず友人の体を自分の体のように、友人の親を自分の親のように大切にするものだと。そうして初めて天下の名士にふさわしい人間になれるのだ」と。だから、友人が飢えていれば食事を与え、寒ければ衣服を与え、病気であれば看病し、死ねば葬ってやる。「けん」の立場の者の言うことはこのようであり、その行動もまたこのようである。

試しにこのことについて論じてみよう。今、ある君子がここにいるとして、遠くへ出かけなければならず、その間に自分の家族や親戚の世話を誰かに託さなければならないとする。さて、彼は「けん」の立場の者に託すだろうか、それとも「別」の立場の者に託すだろうか。私は思う、このような時には、天下のどんな愚かな男女であっても、必ず「けん」の立場の者に託すと言うに違いない。

(世間の人々は)口では兼愛けんあいを否定しておきながら、実際の行動では兼愛けんあいを頼りにする。これでは、その人の言うこととやっていることが矛盾しているではないか。なぜこの矛盾に気づかないのだろうか。

だから、墨子先生は言われるのだ。試しにこのことについて論じてみよう。天下で人々が互いに愛し合う原因を調べると、「けん」から生まれる。天下で人々が互いに憎み合う原因を調べると、「別」から生まれる。私が「別は間違いであり、けんは正しい」と言うのは、このような理由からなのである。

兼愛上篇が扱う主題

兼愛上篇「えこひいき」を捨て、チームの心理的安全性を築くについて書かれています。

墨子は、あらゆる社会問題の根源が、自分や身内だけを大切にする 「偏愛」 にあると看破しました。そして、その唯一の解決策が、全ての人を自分の身内のように、分け隔てなく愛する 兼愛けんあい であると説きます。これは、現代のリーダーシップにおける「公平性」「インクルージョン」「心理的安全性」の重要性を示唆する、時代を超えた教えです。

兼愛上篇の特徴的な教え

この教えは、リーダーが無意識のうちに行いがちな「えこひいき」が、いかにチームの信頼関係を破壊するかを警告しています。全てのメンバーが「自分は公平に扱われている」と感じられる環境を築くために、以下の三つの視点が重要です。

偏愛から兼愛けんあい

自分のお気に入りの部下や、成果の出やすい部署だけを優遇する「偏愛」を捨てる。全ての部下、全ての部署を、組織にとって等しく重要な存在として「兼愛けんあい」する。

利他の精神 (交々相利こもごもあいりす)

自分の利益だけでなく、相手の利益も同時に考える。Win-Loseではなく、Win-Winの関係性を築くことが、協力関係の基礎となる。

共感と想像力(人の身を視ること、其の身のごとくす)

相手の立場や感情を、自分のことのように想像する力。これが、公平な判断と、思いやりのあるコミュニケーションの出発点となる。

なぜ現代でも重要なのか

「チームの一体感の醸成に悩んでいる」「尊敬できる父親でありたい」と願う人にとって、この教えは仕事と家庭の両面で重要な示唆を与えます。

職場では、全ての部下に対して公平に接し、一人ひとりの成長を願う「兼愛」の姿勢が、チームの心理的安全性を高め、一体感を醸成します。家庭では、仕事の都合だけでなく、妻や子供の立場を自分のことのように考える「兼愛」の心が、尊敬と信頼の基礎となるのです。

この教えの戦略的応用

ケーススタディ:どうすれば、全ての部下から信頼されるリーダーになれるか?

兼愛上篇の教えは、リーダーが「公平性」を貫くことの重要性を説きます。特定のエース社員だけでなく、全てのメンバーが「自分は大切にされている」と感じられる組織文化こそが、持続的な成長の土台となります。

公平な機会提供

(兼ねて相い愛し、交々相い利す)
セールスフォースの「1-1-1モデル」

株式の1%、就業時間の1%、製品の1%を地域社会に還元する理念。自社の利益(偏愛)だけでなく、社会全体の利益(兼愛)を追求する姿勢が、従業員の誇りとロイヤリティを高めている。

実践のコツ

挑戦的な仕事や、成長の機会を、特定のお気に入りの部下だけに与えていないか?

透明性の高い評価

(別して相い悪み、交々相い賊う)
Googleの「OKR」と「360度評価」

個人の目標と評価基準を全社に公開し、上司だけでなく同僚や部下からもフィードバックを受ける仕組み。評価プロセスの透明性を高め、不公平感をなくしている。

実践のコツ

評価の基準は明確か?好き嫌いといった感情で判断していないか?

傾聴と共感

(人の身を視ること、其の身の若くす)
スターバックスの「Just Say Yes」ポリシー

従業員がマニュアルを超えて、顧客一人ひとりの状況に共感し、最善を尽くすことを奨励する文化。顧客への「兼愛」が、高い顧客満足度を生んでいる。

実践のコツ

成果の出ていない部下の、個人的な事情や背景にまで、思いを馳せているか?

実践チェックリスト

この章の核となる思想を掘り下げる

人の身を視ること、其の身のごとくし、人の家を視ること、其の家のごとくし、人の国を視ること、其の国のごとくす。

古典の文脈

この言葉は、「兼愛」の具体的な実践方法を示した、墨子の思想の核心です。彼は、愛を「自分→家族→郷土→国家」と段階的に広げる儒教の「偏愛」を批判し、最初から全ての対象を「自分のこと」として捉える、ラジカルなまでの共感と想像力を求めました。これは、単なる精神論ではなく、社会のあらゆる対立と紛争を乗り越えるための、唯一の具体的な方法論だと考えたのです。

現代的意義

この思想は、現代社会が直面する、国籍、人種、性別、宗教といった、あらゆる「分断」を乗り越えるためのヒントを与えてくれます。リーダーシップの文脈では、「ダイバーシティ&インクルージョン」の理念そのものです。多様な背景を持つメンバーを、単に「受け入れる」だけでなく、その一人ひとりの成功を「我がこと」として喜び、困難を「我がこと」として悲しむ。その姿勢こそが、真のインクルーシブな組織文化を築きます。

実践的価値

明日からあなたができること

チームで誰かがミスをした時、すぐに原因追及や叱責をするのではなく、まず「もし自分が彼の立場だったら、どうだっただろうか?」と一呼吸おいて想像してみてください。そして、「大変だったね。まずは一緒に解決策を考えよう」と声をかける。この「共感ファースト」の小さな習慣が、チームに失敗を恐れない心理的安全性をもたらし、挑戦を促す文化を育みます。

歴史上の人物による実践例

「兼愛」の思想は、あまりに理想主義的だと批判されることもあります。しかし、歴史上には、敵味方の区別なく、全ての人の命を救おうとしたリーダーが存在します。彼の行動は、墨子の教えが単なる理想論ではないことを証明しています。

西郷隆盛 - 江戸城無血開城

江戸への総攻撃が目前に迫った、戊辰戦争の緊迫した局面で、西郷隆盛は、敵である旧幕府軍の本拠地、江戸への総攻撃を目前にして、勝海舟との会談に応じました。彼は、戦いに勝つこと(偏愛)よりも、江戸の町が火の海になり、多くの無辜の民が犠牲になること(賊うそこな)を避けました。敵である徳川家のこと、江戸の民衆のことを、自分のことのように考え(兼愛けんあい)、無血開城という決断を下したのです。

これは、目先の勝利よりも、天下全体の利益を優先した「兼愛けんあい」の精神の、最も偉大な実践例の一つです。