墨子

尚賢しょうけん上篇

真の実力主義とは、身分や出身に関係なく、能力と実績に基づいて人材を登用することである。組織の繁栄は、賢者を見出し、適切に処遇し、その才能を最大限に活かすことから始まる。これこそが、古代から続く最も確実な国家・組織運営の基本原理である。
最重要格言
農と工肆の人に在りといえども、能有らば則ち之を挙ぐ

たとえ農民や職人の出身であっても、能力があれば登用すべきである。

子墨子言いていわく、今の王公大人、天下の政を為し、其の国を治むるに、尚賢しょうけん使能を以て、国の基と為さざるを得ず。 然らば則ち、尚賢しょうけんは、亦、聖王の政なり。堯、舜を輔・F・之・F・の中に挙げ、之に授くるに政を以てし、しかして天下治まる。舜、禹を石紐の中に挙げ、之に授くるに政を以てし、しかして九川治まる。湯、伊尹を庖厨の中に挙げ、之に授くるに政を以てし、しかして其の謀、成る。文王、閎夭・太顛を猟Pの中に挙げ、之に授くるに政を以てし、しかして西土服す。 故に、古の聖王の政を為すや、徳を列ねて賢を尚ぶ。農と工肆の人に在りといえども、能有らば則ち之を挙ぐ。爵を以てこれを貴くし、禄を以てこれを富まし、官を以てこれに任じ、事を以てこれを信ず。いわく、「官、貴きに常無く、民、賤しきに終身せず。能有る者は挙げ、能無き者は下す」。 故にいわく、官に常貴無く、民に終身の賤無しとは、此の謂なり。

故に古の聖王、此の説に聴き、此の言を察し、に於いて、天下の賢良の士を、国の宝、社稷の臣と為す。故に、其の爵を貴くし、其の禄を重くし、其の事を信じ、其の令を聴く。然る後に賢良の士、日に日に多くして以て朝廷に在り。暴乱の士、日に日に少なくして以て其の国に在り。に於いて、聖王は譬えば日の出ずるがごとく、其の光を以て天下を照らす。を以て、天も之を助け、鬼も之を助け、万民も亦之を助く。故に之に当たる者は、必ず聖王の道を為さざるを得ず。

然らば則ち、今の王公大人は、何をか尚ぶ。如し多く金玉・子女・Pを尚ぶるときは、則ち金玉・子女・Pの士、至る。 然らば則ち、何をか患うる。夫れ金玉・子女・Pは、以て国を富ます可からず、以て衆を多くす可からず、以て刑政を治む可からず、以て城守を固くす可からず。しかるに何をか楽まん。 今、王公大人、其の富を以て賢を尚び、其の貴きを以て能を使う。然らば則ち、天下の賢良の士、皆な退きていわく、「我、義を以てせざれば、以て富貴なる可からず」と。の故に、富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りていわく、「我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を挙げて貧賤を辟けず」と。の故に、富貴の人、皆な競いて義を為す。 の故に、賢良の士、以て官府を実たし、奸佞の臣、以て法に聴く。に於いて、天下、治まり、国家、安し。を以て、官府に常貴無く、民に終身の賤無し。 の故に、聖王、此の言を挙げて、其の国家に施さば、必ずしもを以て其の身を治め、以て其の国を利するに足らず。

墨先生が言われた。今の王公や大臣たちが、天下の政治を行い、その国を治めるには、賢く有能な者を尊び用いること(尚賢しょうけん使能)を、国家の基本としないわけにはいかない。 そもそも、「尚賢しょうけん」とは、古代の聖王の政治そのものである。堯は舜を田畑の中から見出し、彼に政治を授けた結果、天下は治まった。舜は禹を石紐の地から見出し、彼に政治を授けた結果、九つの大河は治まった。湯王は伊尹を厨房の中から見出し、彼に政治を授けた結果、その計画は成功した。文王は閎夭(こうよう)や太顛(たいてん)を狩猟の場から見出し、彼らに政治を授けた結果、西方の地は服従した。 したがって、古代の聖王の政治は、徳を序列化し、賢者を尊んだ。たとえ農民や職人の出身であっても、能力があれば登用した。爵位を与えてその身分を尊くし、俸給を与えてその生活を豊かにし、官職を与えて任務を任せ、事業を任せて信頼した。そしてこう言った。「官職に、生まれながらの貴人というものはない。民に、生涯賤しい身分のままというものはない。能力ある者は登用し、能力なき者は降格させる」と。 だから、「官に常貴無く、民に終身の賤無し」と言われるのは、このことなのである。

したがって、古代の聖王は、この説を聞き、この言葉をよく考え、天下の賢明で善良な士こそが、国の宝であり、社稷(国家)を支える臣下であるとした。だから、その爵位を高くし、その俸給を重くし、その事業を信頼し、その命令を聞き入れた。そうして初めて、賢明で善良な士は日増しに多くなって朝廷に仕え、乱暴でよこしまな士は日増しに少なくなって国から姿を消した。こうして、聖王はあたかも太陽が昇るように、その光で天下を照らした。これによって、天もこれを助け、鬼神もこれを助け、万民もまたこれを助けた。だから、これに当たる者は、必ず聖王の道を実現せずにはいられないのだ。

さて、今の王公や大臣たちは、何を尊んでいるのか。もし金銀珠玉や美女、鳥獣ばかりを尊んでいるとすれば、そのようなものばかりを献上する者が集まってくるだろう。 そうなれば、何を憂うべきか。そもそも金銀珠玉や美女、鳥獣は、国を富ませることもできず、人口を増やすこともできず、刑罰や政治を正すこともできず、城の守りを固くすることもできない。一体何を喜ぶというのか。 今、王公や大臣たちが、その富をもって賢者を尊び、その貴い地位をもって有能な者を用いたとしよう。そうすれば、天下の賢明で善良な士は、皆、これまでのやり方を改めて言うだろう。「我々は、義を行わなければ、富貴になることはできない」と。こういうわけで、富貴な人々も、これを聞いて、皆、これまでのやり方を改めて謀って言うだろう。「我々が頼みとしてきたのは富や貴い身分だった。しかし今、君主は義を掲げて、貧しく賤しい者でも分け隔てなく登用する」と。こういうわけで、富貴な人々も、皆、競って義を行うようになる。 これによって、賢明で善良な士が役所を満たし、よこしまな家臣は法に従うようになる。こうして、天下は治まり、国家は安泰となる。これによって、「役所に、生まれながらの貴人というものはなく、民に、生涯賤しい身分のままというものはない」という状態が実現するのだ。 したがって、聖王がこの言葉を掲げ、その国家にこれを施せば、必ずこれによってその身を治め、その国に利益をもたらさないということはない。

尚賢上篇が扱う主題

尚賢上篇能力主義による人材登用について書かれています。

墨子は『身分や出身を問わず、実力と徳を持つ者を登用することこそが、国家繁栄の基礎である』として、徹底した能力主義の人事システムを提唱しました。

尚賢上篇の特徴的な教え

墨子は『官に常貴無く、民に終身の賤無し』という革命的な平等思想を説き、堯舜禹湯文王などの聖王たちが、農民・料理人・狩人など様々な身分から優秀な人材を発掘し、国を治めさせた実例を挙げて、実力主義の正当性を証明しています。

尚賢しょうけん使能

賢者を尊び、有能な者を用いること。国家運営の基本原理として、身分に関係なく優秀な人材を登用し活用する。

官に常貴無く

官職に生まれながらの貴人はいない。どんな高い地位も、能力と実績によってのみ得られるべきもの。

民に終身の賤無し

民に生涯賤しい身分のままという者はいない。能力があれば誰でも出世の機会がある。

農と工肆の人

農民や職人のこと。最も低い身分とされていた人々でも、能力があれば登用すべきという革新的思想。

なぜ現代でも重要なのか

現代のダイバーシティ&インクルージョン、成果主義人事の先駆けとなる思想で、学歴や家柄に頼らない真の競争力を追求する企業にとって必須の理念です。

採用、昇進、評価制度の設計において、バイアスを排除し、純粋に能力と成果で判断する組織作りの指針として活用できます。

この教えの戦略的応用

ケーススタディ:あなたの組織で真の実力主義を実現するには?

尚賢上篇の『能力あれば身分を問わず』を現代企業に応用すると、多様性を競争力に変える人材戦略となります。墨子が説いた実力主義の4段階を、現代の成功企業の実例で学びましょう。

人材発掘

(農と工肆の人に在りと雖も)
Google の学歴不問採用

2014年から学歴要件を撤廃し、実務能力とポテンシャル重視の採用で、多様な背景の天才を獲得

実践のコツ

採用基準から排除している不必要な条件は何か?

適切な処遇

(爵を以てこれを貴くし、禄を以てこれを富まし)
Netflix の業界最高水準報酬

『最高の人材には最高の報酬を』という方針で、平均的な10人より優秀な1人に10倍払う戦略

実践のコツ

優秀な人材の市場価値に見合った報酬体系か?

権限委譲

(官を以てこれに任じ、事を以てこれを信ず)
Amazon の2ピザルール

小規模チームに大きな権限を与え、ベゾスの承認なしで数百万ドルの投資判断が可能

実践のコツ

能力ある人材に十分な裁量権を与えているか?

実績評価

(能有る者は挙げ、能無き者は下す)
GE のバイタリティカーブ(廃止前)

上位20%に手厚い報酬、下位10%は改善か退職という厳格な実績主義(現在は見直し)

実践のコツ

実績に基づく公正な評価システムが機能しているか?

実践チェックリスト

この章の核となる思想を掘り下げる

農と工肆の人に在りといえども、能有らば則ち之を挙ぐ

古典の文脈

この言葉は墨子の思想の革新性を最も端的に表しています。春秋戦国時代、身分制度が厳格だった時代に、『農民や職人であっても能力があれば登用すべき』と説いたことは、既存の秩序への挑戦でした。墨子は単なる理想論ではなく、堯が農民の舜を、湯王が料理人の伊尹を登用した歴史的事実を挙げて、この原理の正当性と実効性を証明しました。

現代的意義

現代において、この教えは『unconscious bias(無意識の偏見)』を克服する指針となります。学歴、性別、年齢、国籍、前職といった表面的な属性ではなく、その人の本質的な能力と可能性を見る。シリコンバレーの成功企業の多くが、大学中退者や移民、異業種出身者をCEOやCTOに据えているのは、まさにこの原理の実践です。『能力あれば出自を問わず』は、イノベーションと多様性の源泉となる永遠の真理です。

実践的価値

明日からあなたができること:次の採用面接や人事評価で『属性フィルター』を外してください。学歴欄を隠して書類選考する、年齢を見ずに実績だけで判断する、性別を考慮せずにリーダーを選ぶ。さらに『異質な才能』を積極的に探してください。営業に技術者を、経理にクリエイターを、あえて異分野の人材を配置することで、組織に新しい風を吹き込む。この小さな実践が、組織を『尚賢』の理想に近づけます。

歴史上の人物による実践例

『農と工肆の人に在りと雖も、能有らば則ち之を挙ぐ』という墨子の理想を、最も徹底的に実践し、身分制度を打破して天下統一への道を切り開いた男。彼の人材登用術は、まさに尚賢思想の極致でした。

豊臣秀吉 - 草履取りから関白への前代未聞の出世と実力主義人事

豊臣秀吉こそ、墨子の尚賢しょうけん思想を体現した日本史上最大の成功者です。

農民の子として生まれ、織田信長の草履取りから始まり、ついには関白・太政大臣まで上り詰めた彼の人生は、まさに『民に終身の賤無し』の実証でした。



さらに重要なのは、秀吉自身が実力主義の申し子であったがゆえに、部下の登用でも徹底した能力主義を貫いたことです。石田三成(寺の小僧)、黒田官兵衛(小寺家の家臣)、蜂須賀小六(野盗の頭領)など、身分や出自を問わず、能力ある者を次々と重臣に取り立てました。



『人たらし』と呼ばれた秀吉の真の才能は、墨子が説いた『爵を以てこれを貴くし、禄を以てこれを富まし』を完璧に実践したことにあります。功績を挙げた者には惜しみなく領地を与え、20万石、30万石という破格の大名に取り立てることで、全国から野心的な人材が集まりました。まさに『官に常貴無く』を地で行く革命的な人事でした。