尚賢上篇
「農と工肆の人に在りと雖も、能有らば則ち之を挙ぐ」
たとえ農民や職人の出身であっても、能力があれば登用すべきである。
尚賢上篇が扱う主題
尚賢上篇は能力主義による人材登用について書かれています。
墨子は『身分や出身を問わず、実力と徳を持つ者を登用することこそが、国家繁栄の基礎である』として、徹底した能力主義の人事システムを提唱しました。
尚賢上篇の特徴的な教え
墨子は『官に常貴無く、民に終身の賤無し』という革命的な平等思想を説き、堯舜禹湯文王などの聖王たちが、農民・料理人・狩人など様々な身分から優秀な人材を発掘し、国を治めさせた実例を挙げて、実力主義の正当性を証明しています。
尚賢使能
賢者を尊び、有能な者を用いること。国家運営の基本原理として、身分に関係なく優秀な人材を登用し活用する。
官に常貴無く
官職に生まれながらの貴人はいない。どんな高い地位も、能力と実績によってのみ得られるべきもの。
民に終身の賤無し
民に生涯賤しい身分のままという者はいない。能力があれば誰でも出世の機会がある。
農と工肆の人
農民や職人のこと。最も低い身分とされていた人々でも、能力があれば登用すべきという革新的思想。
なぜ現代でも重要なのか
現代のダイバーシティ&インクルージョン、成果主義人事の先駆けとなる思想で、学歴や家柄に頼らない真の競争力を追求する企業にとって必須の理念です。
採用、昇進、評価制度の設計において、バイアスを排除し、純粋に能力と成果で判断する組織作りの指針として活用できます。
この教えの戦略的応用
尚賢上篇の『能力あれば身分を問わず』を現代企業に応用すると、多様性を競争力に変える人材戦略となります。墨子が説いた実力主義の4段階を、現代の成功企業の実例で学びましょう。
人材発掘
(農と工肆の人に在りと雖も)2014年から学歴要件を撤廃し、実務能力とポテンシャル重視の採用で、多様な背景の天才を獲得
実践のコツ
採用基準から排除している不必要な条件は何か?
適切な処遇
(爵を以てこれを貴くし、禄を以てこれを富まし)『最高の人材には最高の報酬を』という方針で、平均的な10人より優秀な1人に10倍払う戦略
実践のコツ
優秀な人材の市場価値に見合った報酬体系か?
権限委譲
(官を以てこれに任じ、事を以てこれを信ず)小規模チームに大きな権限を与え、ベゾスの承認なしで数百万ドルの投資判断が可能
実践のコツ
能力ある人材に十分な裁量権を与えているか?
実績評価
(能有る者は挙げ、能無き者は下す)上位20%に手厚い報酬、下位10%は改善か退職という厳格な実績主義(現在は見直し)
実践のコツ
実績に基づく公正な評価システムが機能しているか?
実践チェックリスト
この章の核となる思想を掘り下げる
農と工肆の人に在りと雖も、能有らば則ち之を挙ぐ
古典の文脈
この言葉は墨子の思想の革新性を最も端的に表しています。春秋戦国時代、身分制度が厳格だった時代に、『農民や職人であっても能力があれば登用すべき』と説いたことは、既存の秩序への挑戦でした。墨子は単なる理想論ではなく、堯が農民の舜を、湯王が料理人の伊尹を登用した歴史的事実を挙げて、この原理の正当性と実効性を証明しました。
現代的意義
現代において、この教えは『unconscious bias(無意識の偏見)』を克服する指針となります。学歴、性別、年齢、国籍、前職といった表面的な属性ではなく、その人の本質的な能力と可能性を見る。シリコンバレーの成功企業の多くが、大学中退者や移民、異業種出身者をCEOやCTOに据えているのは、まさにこの原理の実践です。『能力あれば出自を問わず』は、イノベーションと多様性の源泉となる永遠の真理です。
実践的価値
明日からあなたができること:次の採用面接や人事評価で『属性フィルター』を外してください。学歴欄を隠して書類選考する、年齢を見ずに実績だけで判断する、性別を考慮せずにリーダーを選ぶ。さらに『異質な才能』を積極的に探してください。営業に技術者を、経理にクリエイターを、あえて異分野の人材を配置することで、組織に新しい風を吹き込む。この小さな実践が、組織を『尚賢』の理想に近づけます。
歴史上の人物による実践例
『農と工肆の人に在りと雖も、能有らば則ち之を挙ぐ』という墨子の理想を、最も徹底的に実践し、身分制度を打破して天下統一への道を切り開いた男。彼の人材登用術は、まさに尚賢思想の極致でした。
豊臣秀吉 - 草履取りから関白への前代未聞の出世と実力主義人事
豊臣秀吉こそ、墨子の尚賢思想を体現した日本史上最大の成功者です。
農民の子として生まれ、織田信長の草履取りから始まり、ついには関白・太政大臣まで上り詰めた彼の人生は、まさに『民に終身の賤無し』の実証でした。
さらに重要なのは、秀吉自身が実力主義の申し子であったがゆえに、部下の登用でも徹底した能力主義を貫いたことです。石田三成(寺の小僧)、黒田官兵衛(小寺家の家臣)、蜂須賀小六(野盗の頭領)など、身分や出自を問わず、能力ある者を次々と重臣に取り立てました。
『人たらし』と呼ばれた秀吉の真の才能は、墨子が説いた『爵を以てこれを貴くし、禄を以てこれを富まし』を完璧に実践したことにあります。功績を挙げた者には惜しみなく領地を与え、20万石、30万石という破格の大名に取り立てることで、全国から野心的な人材が集まりました。まさに『官に常貴無く』を地で行く革命的な人事でした。