孫子

作戦篇

大規模なプロジェクトや競争は、リソースを大量に消費するため、短期での決着が不可欠である。長期化は組織を疲弊させ、外部からの介入を招くため、避けるべきである。外部リソースを効果的に活用することで、自社の消耗を抑え、優位に進めることができる。
最重要格言
兵は拙速せっそくを聞くも、いまだ巧の久しきをざるなり

戦争では、多少拙くても迅速な作戦が功を奏することは聞くが、巧妙でも長期化した作戦が成功した例は見たことがない。

孫子そんしいわく、凡そ用兵の法は、馳車ちしゃ革車かくしゃ千乗、帯甲たいこう十万、千里にして糧をおくる。則ち内外の費、賓客ひんきゃくの用、膠漆こうしつの材、車甲のほう、日に千金を費して、然る後に十万の師がる。

其の戦いを用うれば、勝つこと久しければ則ち兵をにぶらせ鋭をくじく。城を攻むれば則ち力き、久しく師をさらさば則ち国用足らざる。

夫れ兵をにぶらせ鋭をくじき、力をくし貨をくさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者といえども、其の後を善くすること能わず。

故に 兵は拙速せっそくを聞くも、未だ巧久こうきゅうざるなり。

夫れ兵久しくして国に利ある者は、未だ之有らざるなり。

故に尽く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利を知ること能わざるなり。

善く兵を用うる者は、役は再籍さいせきせず、糧は三載さんさいせず。用を国に取り、糧を敵にる。故に軍食足る可きなり。

国、兵の故に貧しきは、遠く輸ればなり。遠く輸れば則ち百姓貧し。師に近き者は貴売きばいす。貴売きばいすれば則ち百姓の財く。財くれば則ち丘役きゅうえきに急なり。

き財きて、中原の内、家に虚し。百姓の費、十に七を去る。公家の費、破車罷馬ひば、甲冑矢弩しど戟楯げきじゅん蔽櫓へいろ丘牛きゅうぎゅう大車、十に六を去る。

故に 智将は務めて敵に食む。 敵の一しょうを食むは、我が二十しょうに当り、萁秆きかん一石は、我が二十石に当る。

故に敵を殺すは怒なり。敵の利を取るは貨なり。故に車戦に車十乗以上を得れば、其の先に得たる者を賞し、しかして其の旌旗せいきあらため、車はまじえて之に乗り、卒は善くして之を養う。 を敵に勝ちて強を益すと謂う。

故に兵は勝つを貴び、久しきを貴ばず。

故に 兵を知るの将は、民の司命しめい、国家の安危あんきの主なり。

孫子そんしが言うには、およそ戦争を行うには、戦車千台、輸送車千台、武装した兵士十万人を、千里も離れた遠隔地に食料を輸送しながら派遣することになる。そうなると、国の内外での経費、外交使節の接待費、にかわや漆などの資材費、戦車や鎧の整備費など、一日に千金もの大金を費やして、ようやく十万の軍隊を動かすことができるのだ。

そしていざ戦闘となれば、戦いが長引けば軍は疲弊し、鋭気はくじかれる。城を攻めれば兵力は尽き、長く軍を国外に留めておけば、国家の財政は行き詰まる。

軍が疲弊し、鋭気がくじかれ、兵力が尽き、物資が底をつくと、その窮状に乗じて他国が攻め込んでくる。そうなってしまっては、いかに智恵のある者でも、その後の始末をうまくつけることはできない。

だからこそ、 戦争においては、やり方が多少まずくても速やかに終わらせたという話は聞くが、巧みに戦って長引かせたという成功例は、いまだかつて見たことがない。

そもそも、戦争が長引いて国に利益をもたらした例は、いまだかつて一度もないのだ。

したがって、戦争がもたらす害悪を完全に理解していない者は、戦争がもたらす真の利益も完全に理解することはできないのである。

本当に戦上手な将軍は、兵士を二度も徴兵することはなく、食料を何度も国から輸送させることもしない。武具は自国から持って行くが、食料は敵国で調達する。そうしてこそ、軍の食料は十分足りるのである。

国が戦争によって貧しくなるのは、遠方まで物資を輸送するからである。遠くまで輸送すれば、民は貧しくなる。軍の駐屯地の近くでは物価が高騰する。物価が高騰すれば民の財産は尽きてしまう。財産が尽きれば、賦役の負担はますます重くなる。

兵力は尽き、財産も底をつき、国内の家々は空っぽになる。民衆の費用の十分の七が失われ、国家の費用も、壊れた戦車や疲弊した馬、鎧や武具、盾や櫓、輸送用の牛や荷車など、その十分の六が失われる。

だから、 智恵ある将軍は、努めて敵の食料を現地で調達する。 敵の食料を一しょう食べることは、自国から運んだ二十しょうに相当し、敵の飼料を一石使うことは、自国から運んだ二十石に相当するのだ。

そもそも、敵兵を殺すのは(兵士たちの)怒りの感情によるものである。敵の物資を奪うのは、利益を得るためである。だから、戦車戦で敵の戦車を十台以上鹵獲したならば、最初に手柄を立てた者を賞賛し、敵の旗を自軍のものに付け替え、鹵獲した戦車は自軍の戦車に混ぜて使い、捕虜は手厚く待遇して味方に加える。 これを「敵に勝って、ますます強くなる」と言うのである。

したがって、戦争とは勝利を尊ぶものであり、長期戦を尊ぶものではない。

ゆえに、 戦争というものを熟知している将軍こそが、民の命運を司り、国家の安危あんきを担う主なのである。

作戦篇が扱う主題

作戦篇速戦即決と資源効率化について書かれています。

孫子そんしは「兵は拙速せっそくを聞く」として、完璧を求めるよりも迅速な実行の重要性を説きました。長期化による消耗を避け、効率的な資源活用で勝利する戦略思想です。

作戦篇の特徴的な教え

孫子そんしは「糧を敵にる」として、敵の資源を活用する戦略的思考を示しました。現代のオープンイノベーションやプラットフォーム戦略の原型となる、外部リソース活用の重要性を説いています。

拙速せっそく

多少拙くても迅速であることを重視する考え方。完璧主義による機会損失を警告した戦略原則。

糧を敵に

敵の食糧で自軍を養う戦略。外部リソースを効率的に活用し、自軍の負担を最小化する思想。

を敵に勝ちて強を益す

敵に勝利することで自軍がさらに強化される効果。勝利の複利効果を狙う戦略的思考。

兵は勝つを貴び、久しきを貴ばず

戦争は勝利を重視し、長期化は避けるべきという原則。時間コストの概念を明確化した教え。

なぜ現代でも重要なのか

現代のビジネス環境では、スピードが競争優位の決定要因となっています。完璧を求めて機会を逸するよりも、迅速に市場投入し改善していく手法が重要です。

スタートアップ経営、プロジェクト管理、投資判断、キャリア形成において、限られたリソースを効率的に活用し、短期で成果を出す戦略として応用できます。

この教えの戦略的応用

ケーススタディ:あなたが限られた予算で新事業を立ち上げる経営者だったら?

作戦篇の「拙速」と「糧を敵に因る」の原理を現代ビジネスに応用すると、限られたリソースで最大の成果を出す戦略となります。孫子が説いた4つの資源効率化原理を、現代企業の成功事例で学びましょう。

迅速な市場投入

(拙速)
Facebook vs MySpace

完璧なSNSを目指したMySpaceに対し、Facebookは「拙速」でMVPを投入し、ユーザーフィードバックで改善を重ねて市場を制覇

実践のコツ

完璧を求めて機会を逸するより、80%の完成度で市場投入し改善していく戦略はあるか?

外部リソース活用

(糧を敵に因る)
Airbnb vs ホテル業界

巨額投資でホテルを建設せず、既存の住宅という「敵の資源」を活用してホスピタリティ業界に参入し急成長を実現

実践のコツ

既存の業界インフラや他社のリソースを活用して、初期投資を抑える戦略は何か?

勝利の複利効果

(是を敵に勝ちて強を益す)
Amazon vs 既存小売

オンライン書店で成功後、その売上とデータを活用して総合ECに展開、さらにAWSで他社にインフラを提供し収益を複層化

実践のコツ

一つの成功を次の事業展開の基盤として活用し、成長を加速させる仕組みはあるか?

長期化リスク回避

(兵は勝つを貴び、久しきを貴ばず)
Netflix vs ブロックバスター

ブロックバスターが店舗戦略に固執する間、Netflixは短期でストリーミングに転換し、長期戦を避けて市場を独占

実践のコツ

現在の戦略が長期化している場合、早期に方向転換する判断基準は明確か?

実践チェックリスト

この章の核となる思想を掘り下げる

兵は拙速せっそくを聞くも、いまだ巧の久しきをざるなり

古典の文脈

この格言は作戦篇の核心として位置づけられた、速度と完璧さの関係を論じた革命的な教えです。「拙速」とは「拙くても速い」という意味で、完璧を追求するあまりタイミングを逸することの愚かさを説いています。「巧の久しき」は「巧妙だが長期化した作戦」を指し、いくら巧妙でも時間をかけすぎれば失敗するという歴史的経験に基づいた洞察です。

現代的意義

現代社会では、この教えは「完璧主義の罠」を回避する重要な指針となります。IT業界のアジャイル開発、スタートアップのMVP(最小実行可能製品)戦略、投資の損切り判断など、すべて「拙速」の思想を体現しています。変化の激しい現代では、完璧な計画を立てる時間よりも、迅速に実行し、フィードバックから学び、改善していくスピードが競争優位を決定します。時間は回復不可能な最も貴重な資源だからです。

実践的価値

明日からあなたができること:現在抱えているプロジェクトで「80%完成度ルール」を適用してください。80%の完成度に達した時点で一度公開・実行し、フィードバックを得て改善する。完璧を求めて100%を目指すより、80%で実行し、実際の反応を見ながら120%に向上させる方が効率的です。期限を設定し、「完璧でなくても期限内に必ず実行する」という習慣が、あなたの成果を飛躍的に向上させます。

歴史上の人物による実践例

「拙速」と「糧を敵に因る」という作戦篇の核心原理は、日本史上最も効率的な戦略家によって見事に実践されました。完璧な計画よりも迅速な実行を重視し、敵の資源を巧みに活用して段階的に勢力を拡大した天才軍師の物語です。

明智光秀 - 丹波攻略における段階的平定戦略

明智光秀の丹波攻略は、作戦篇の原理を完璧に実践した戦略的傑作でした。

拙速せっそくとして、完璧な一括攻略を諦め、城ごとに短期で確実に攻略し、長期化による消耗戦を回避しました。「糧を敵にる」として、攻略した城の兵士と物資を自軍に編入し、戦力を段階的に増強、を敵に勝ちて強を益す」として、一つの勝利を次の攻略の基盤とし、雪だるま式に勢力を拡大、「兵は勝つを貴び、久しきを貴ばず」として、各戦闘を短期決戦で終わらせ、織田信長から与えられた期限内に丹波全域を平定しました。

光秀は武力一辺倒でなく、調略(敵将の寝返り工作)も駆使し、まさに「智将は務めて敵に食む」を実践した効率の化身でした。